凡人の表現
初めて小説を読破したのは小学校低学年の時
児童向けの魔法少女マリリンというシリーズ物だった
ページを捲る度に脳裏に飛び込んでくる見たこともない景色に胸を躍らせ、ひたすら読み進めた。
図書室で見つけた、分厚く、挿絵も無い文字だけの西遊記は上中下巻と、今読み返せと言われても思いとどまる様な文字数だったけど、当時の僕は、頭の中に堺正章の孫悟空を自由自在に駆け巡らせ、天竺への旅を共にした。
中学時代は教室の隅に当時の担任が読書コーナーを作ってくれていて、たまたま手に取った東野圭吾の「手紙」には心を揺さぶられたし、
高校時代は石田衣良にどハマりしてIWGPシリーズは全て読んだ。
「美丘」や「波の上の魔術師」等も未だにあらすじを説明出来る。
そこそこ色々な小説を読んできたと思っていたし、今も未読の本が部屋の隅に溜まっている。
そう、溜まっているのだ。
最近全くと言って良いほど本を読む気力が湧かない。
気づけば本を手に取る事も億劫になり、読んでみたいと思う本を買っては、自室の埃を積もらせていく。
何故だろうかと今、少しだけ考えてみた。
ほんの少しだけ答えが分かった。気がする。
僕には出来ない表現を、ページの向こう側にいる彼らは平然とやってのけていることに気づいてしまったのではないか
文字だけで情景や感情を伝える事の凄みを、
ページがすすむ度にペン先を喉元につきつけられているような、
そんな気がした。
かく言う僕はただのサラリーマンで、
文字で世界と勝負した事もなければ
中学生の頃、夏休みの宿題だった標語は
全国の過去の受賞作品を組み合わせて提出し
それが受賞してしまいいい気になっていたような人間だ。
僕が書く文章に彼らほどの説得力はないし
訴求力も皆無だ。
ただ、歳を重ねるごとに彼らの文章の重みが。到底理解に及ばないような想像力が、僕をインクで殴ってくる。
彼らの経験や膨大な努力を、僕の何もしてこなかった人生と比べては自分にがっかりする。
だから読み進められないんだ!
と、言い訳してみる。
本当はきっと、めんどくさいだけなんだけどね。
そんな言い訳にもならない屁理屈をこねている
9/26 22:00
この拙文が誰かの目に留まるのが嬉し恥ずかし、
ここまで読んでくれてありがとうございます。
また、明日。