好きになる努力が嫌い
生きていると色々な思想や生き方に出会う。
自分から謝罪しないことを美学としている人や(謝れない性格を棚に上げているだけ)
逆に何かにつけて謝罪してその場をしのごうとする人(思考停止)
瞬間湯沸かし器(熱湯)
善意の薄利多売(行き過ぎた優しさは時にサイコパス)
そんな人たちに多くかかわってきて、ほとんどの場合頭を悩ませた。
そのなかで上司に言われたひとこと。
「相手のいいところを見つけて、好きになる努力をしなさい。
好きにはなれなくても嫌いと決めつけるのはお前人との関りを諦めただけだ。」
当時は心の底から感心して、常に相手のいいところを探したし
どうしても見つけられなかったりすると自分の努力が足りないのだと襟を正した。
襟を正すどころか相手を受け入れられない自分を責め
結果的には適応障害の診断をいただき数か月引きこもった。
そんな経験を通して分かったこと
”無理なもんは無理”
努力して好きになるようなものは心から好きなわけがない。
苦手な食材を克服しても、それを好んでオーダーすることなんてない。
諦めだ!なんて言われても結構。僕は嫌いな人との人間付き合いは諦めた。
そう考えられるようになってからは心がすっと軽くなった。
人間関係で悩んでいる人。時には距離を置いてその相手が自分にとってどんな存在か
この先一生関係がないとやっていけないような人か、そう考えるとあなたは無理する必要がなかったりするかもしれない。
トカゲだって自らのしっぽを切ってでも生き延びるのだ。
自分を守るためなら自然消滅だっていとわない。
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ひっそりと思うことを書くだけのブログになんか☆マークついててびっくり
はてなブログ初心者なので、どなたかこの記事を読まれた方
よければ☆ってなんぞやということをコメントしてもらえるとこれ幸いです。